『オレンジのあじがする』

It tastes like an orange!ワードプレス化に向けて奮闘中。イラストは練習中でござる



【17歳の冬】これが旅のはじまり〜アメリカホームステイ記〜

f:id:orange7700:20131203235627j:plain

カンボジア旅行記が一段落したので、映画「オンザロード」を観ようと思ったことがきっかけで、アメリカにホームステイしていたことについて書きたいと思います。

 

今から10年も前、僕がまだ高校2年生だった頃の話です。横須賀に住んでいた僕は、近くの米軍基地に、英会話に通っていました。軍の仕事の傍ら、副業で英会話教室を開いている人が多くいて、基地内にある先生のアパートメントで、レッスンを受けます。僕は、毎週1回、中学生の頃から通ってい7年間で、グレンダ、カーク、マイクと3人の先生に教わりました。高校生の頃の先生のカークが一番印象に残っています。

 

横須賀という土地柄、幼稚園から中学まで、必ず外国人の同級生がいたり、街に出れば、海軍の兵士と歩いていたり、飲み屋で一緒になったり、物心ついた頃から、外国人に交流していたことは、海外に興味があったり、会話に抵抗が少ないのは、今の僕を作る要素になっているかもしれません。しかし、英会話のレッスンは、僕にとっては、それ以上の素晴らしい経験でした。これは、NOVAやBerlitzでは味わえないと思います。 

 

高校に進学して、それまで担当していたグレンダがレッスンを止めてしまったので新しいレッスンを探している所、初めての授業の時、担任が英会話をやっているとのことで、僕は興味を持って、個人的に紹介して欲しいとお願いをしました。偶然、一緒に友達も、紹介をして欲しいと同じタイミングで声をかけたことがあり、友達と2人でレッスンに通うことになりました。これが、カークとの最初に出会いでした。

 

軍医であるカークのレッスンは、単に英会話をやるだけでなく、アメリカ人の生活を垣間見ることができました。盛大なクリスマスパーティーや、ハロウィーンパーティに誘ってくれて、カークのファミリーも暖かく僕らを迎えてくれました。また、基地内はとても、僕達にとって新鮮で、日本ではまだ珍しかった「スターバックスコーヒー」や、メキシカンファーストフード「タコベル」があったり、広い映画館、巨大なスーパー、スタジアムなど、カークは僕達をいろいろな所に連れて行ってくれました。

 

そんなある日、カークが日本での任期を終え、アメリカに帰ってしまうことが告げられました。僕たちは、ささやかなお別れパーティを開き、お礼をしました。その時、カークから、今年中に、アメリカにホームステイにおいでと誘われました。僕たちは、喜んでお願いをしました。時期は夏、友達と二人で、せっせと準備を始めました。

 

そんなとき、あの忌まわしい事件が起きました。9.11同時多発テロです。米軍基地は、当然、厳戒態勢で、一般人の立ち入りはおろか、兵士でさえ入場が厳しく制限されていました。また、航空事情もセキュリティやテロの懸念が浮上し、僕たちは親を巻き込み、ホームステイの是非について検討しました。そして、友達は決行し、僕は中止しました。しかし、友達がホームステイに行った後、僕はとても後悔しました。なぜ行かなかったのだろう。激しい後悔の後、アメリカにいるカークに電話をしました。そうしたら、冬にぜひホームステイにおいでと声をかけてくれました。

これで、僕のアメリカ行きが決まりました。

 

当時、周りに頻繁に海外に行く友達がいて、とても羨ましく、憧れていました。そして、念願の夢がなかったのです。僕にとっては初めての海外。もうワクワクが止まりませんでした。

初めての海外が、アメリカひとり旅。準備は誰にも頼まず、ボーディングパスの手配から移動など、1から10まで全部自分でやりました。これが今でも一人旅をしている原点であり、僕のずっと続く、旅のはじまりでした。

 

出発当日、初めての成田で、初めてのチェックイン。そして、今はなきノースウエスト機は、勢い良く日本を離陸しました。

次回へ続く。

【17歳の冬】カリフォルニアの太陽の下で〜アメリカホームステイ記2〜 

 

オン・ザ・ロード (河出文庫)

オン・ザ・ロード (河出文庫)